麦穂11月号巻頭言 翻訳について 主任司祭 細井保路

2022/11/9

                翻訳について                              細井保路(ほそいやすみち)  いよいよ今月の26日のミサから、一部改訂した新しいミサの式文の使用が始まります。特別な読み合わせなどはしませんが、少しずつ慣れていくようにしましょう。改訂版の発行にあたって、ラテン語の原文により忠実に訳すことと、できるだけ口語体に統一することを重視した結果、新しい翻訳が完成しました。しかし、ご存知のように、「翻訳」にはいつも限界があります。いくつもの単語に置き換えが可能な場合でも、どれか一つを選ばなければなりません。その結果、原文の意味が半減したり、余計なニュアンスが付け加わってしまったりすることさえあるものです。  「主の祈り」が口語文に変わったときも、古い文語体の祈りに慣れていた人たちは、私もそのひとりでしたが、なかなかなじめませんでした。「み旨の行われんことを」という祈りは、「みこころがおこなわれますように」と変わりました。原文で使われている単語は、「望み」とか「願い」とか訳せるわけですが、「神さまが望んでおられること」ですから、「み旨」、「みこころ」と訳したわけです。どんな日本語に訳すかは、もはや時代の雰囲気や個人の好みの問題が反映してしまいそうです。ですから、「原文に忠実に」という精神は、原文から何を読み取るかという姿勢を大切にすることでなければなりません。  「みこころがおこなわれますように」という祈りの言葉に関して言えば、原文をどの単語に置き換えるかよりも重要なことがあるのです。「神さまのお望み」とは何かを理解することです。「神さまのお望みなど分からない」という人がよくいますが、イエスさまは神さまのお望みを訴え続けられたのです。しかも、それはとても単純なことでした。神さまが望んでおられるのは、すべてのものの救いです。やさしい言葉に置き換えれば、誰もが幸せになることです。その神さまの「みこころ」が実現するように祈れと教えられたのです。私たちは、本気で人の幸せを願っているでしょうか。  ご存知のように、「主の祈り」は、マタイ福音書に書かれているイエスさまの言葉です。だから、私たちは、福音書を読むときにも、「命令」や「格言」のように受け止めるのではなくて、イエスさまの言葉が伝えている神さまの愛の深さ、恵みの豊かさを感じ取るようにしなけれなりません。

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