麦穂1月号巻頭言 キダチアロエ 主任司祭 細井保路
2025/1/12
キダチアロエ 主任司祭 細井保路(ほそいやすみち) シーサイドラインの「海の公園南口駅」を出た信号の先に、見事に群生したキダチアロエの株があります。寒空に元気にたくさんの花を咲かせています。教会の庭の隅にもキダチアロエの鉢植えがあるのですが、何年も花をつけずにいたので、てっきりこれは花の咲かない種類なのかと思っていました。ところが、昨年の暮れにスルスルと茎が伸び、正月についに花が開き始めました。完熟したマンゴーのような温かみのある赤い色は、道端でたくましく咲いているキダチアロエの花と同じはずなのですが、なんだか趣きが違う気がします。たった一つだけ咲いているからかもしれません。 埃っぽい道端でよく見かけるキダチアロエにはほとんど興味もなかったのですが、身近な所に咲き始めると、急に親しみを感じるようになりました。とても近い存在になったのです。 遠くにあって無関心だったものが、近づくことによって大切なものになるのはとても嬉しいことです。先入観で勝手に決めつけていた相手のイメージが崩れて、思いもよらない新たな魅力に気づくのもとても嬉しいことです。大げさな言い方をすれば、これは知的な回心です。相手に対する知識が増えるということではなくて、認識が「深まる」のです。神さまとの出会いも同じようにして起こります。「幸せにしてください」とお願いするための相手だと思っていた神さまが、ある日、私たちに向かって「幸せになれ」と強く強く望んでおられる方だと気づかされるなら、それこそが回心です。 神さまが用意してくださったこの世界の見え方が深まっていくために、イエスさまという、神さまからのメッセージがこの世界に与えられました。イエスさまは、神さまのお望みはただ一つ、すべてのものの救いであると教えられました。別な言い方をすれば、「みんなが幸せになること」です。そして、神さまがすべてを救う方法は、高みからすべてを従わせるのではなくて、一番下からすべての存在を持ち上げるようにして引き上げるというのです。自分のことを後回しにして相手を生かすという生き方を貫いたイエスさまは、そうやって神さまのなさり方を私たちに示してくださったのです。 あとは私たちが、自分で作ってしまった狭い考え方や思い込みから抜け出して、神さまが与えてくださったこの世界のことを、そしてそれを支えてくださっている神さまのことを、より深く知ろうとする姿勢を持てばいいのです。