6/7 三位一体の主日ミサ 説教

2020/6/6

          神は世を愛した―三位一体の主日A年                               ヨハネ・ボスコ 林 大樹   ヨハネによる福音3章16-18節  今日の福音は、「独り子」(16・18節)という語によって囲い込まれており、「独り子」であるイエスを通してこの「世」に救いを実現される神の想いが明らかにされます。  「世」を愛される神(16-17節)  前半の16節と17節は、原文によると次のような構成で作られています。   (16節)   神は世を愛した   a それで独り子を与えた   b 彼を信じるすべての者が滅びずに   c 永遠の命を持つために   (17節)   a 神は子を世に遣わした   b 世を裁かずに   c 救われるために  16-17節のabcの構造は、それぞれ、a-主文、b-否定の目的文、c-肯定の目的文として対応しています。16節冒頭の「神は世を愛した」という句は全体のテーマであり、16-17節のabcはこのテーマの具体的な現れを述べたものです。  父なる神は世(この場合の世は、マイナスイメージではありません)を愛しました。どの程度までかと言うと、独り子イエスを与えた(人間として生まれさせ、十字架上の死によってあがないの業を成し遂げた)ほどです。その目的は、イエスを信じる人々が永遠の命を得ること、言い換えれば「救われる」ことです。  「滅びる」ことと「裁かれる」こと(18節)  後半の18節では主語が変えられ、その神の働きかけに対して人が取るべき態度が述べられます。神の愛に応える態度とは「信じる」ことです。18節では「信じる」という語が三回も用いられています。  神は「救う」のであって、裁き、断罪はしません。それでも「裁き」はあります。神が裁きをするのではなく、愛の贈りものとして与えられたイエスを人々が拒み、不信の態度をとる場合、その態度によって彼らは、「裁かれる状態にみずからを置く」のです。  今日の福音のまとめ イエスはニコデモに言います。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない。┅┅誰でも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風(プネウマ)は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊(プネウマ)から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ3章3-8節)。  「新たに生まれる」とは、「上(神)から生まれる」とも訳せます。「神の国を見る(に入る)」という表現は、ヨハネ福音書ではここに一度だけ用いられており、意味は「永遠の命」(16節)と同じです。永遠の命を得るためには、「水と霊による再生」、言い換えれば、イエスを信じることによる「新たな生まれかわり」が必要です。この誕生は「聖霊」の働きによって可能となります。ヨハネ福音書の中で「水」は「聖霊」を指します(7章39節)。初代教会はこの水を「洗礼の水」と理解していました。イエスを信じ、洗礼を受けた人は、「永遠の命」を得ます。「永遠の命」とは「父と子と聖霊(三位一体)の交わり」にあずかる形の「神的な命」のことです。  「神は、その独り子をお与えになった(=十字架に渡した)ほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。┅┅御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである」。  今日の福音のヨハネの視座に注意してください。イエスの登場だけでなく、十字架上の死、復活、昇天、聖霊降臨もすべて完了していることを前提にしています。  つまり今日の福音は、イエスの派遣、生涯、十字架上の死をすべて、愛ということから解釈します。「独り子」ということの強調によって、「神は世を愛した」ことを、父と子の間の愛から理解しようとしています。父と子の間の愛を深く理解する時のみ、その愛する独り子ですら与えた神の世への愛をそれだけ深く理解することになります。この神の世への愛は、私たちが生きる「教会の時代」には聖霊の働きによって理解することになります。  第二朗読では、パウロは「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」と祈ります(Ⅱコリント書13章13節)。  「主イエス・キリストの恵み」とは「主イエス・キリストが与える恵み」であり、「神の愛」は「神が与える愛」ですから、これに照らせば、「聖霊の交わり」も「聖霊が与える交わり」と読むことができます。私たちにとって大切なことは「交わりを与えるのは聖霊である」ということです。  神が「世」に「与えた」独り子イエスの歩みの中に、人を罪から解放して、永遠の命を与える神の愛がはっきりと示されています。そのことに気づくためには、聖霊の働きが必要です。そして、そのことに気づいた者は、既に「父と子と聖霊(三位一体)の交わり」にあずかる形の「神的な命」に包まれているのです。                    2020年6月7日(日) 金沢教会 主日ミサ 説教 ‘20.6.7ミサ福音説教原稿(三位一体の主日)

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