麦穂10月号巻頭言 相手の幸せを願う 主任司祭 細井保路

2021/10/18

              相手の幸せを願う                              細井保路(ほそいやすみち)  「求めなさい。そうすれば与えられる。」というマタイ福音書7章7節の言葉は誰もが知っていると思います。太古の昔からのたくさんの人の涙とともに捧げられた祈りや切なる願いは、今私たちの幸せを生み出しているのです。父や母の隠れた祈りは確かに私たちの生活を支えているのです。だからこそ、私たちは、今すぐに答えが出なくても、未来に向けて祈り、願い続けなければならないのです。世の初めからの神さまのお望みに、私たちが気づき立ち返っていけば最後には、私たちの願いと神さまのみ旨とが一つになるというゴールが見えてくるはずです。改めて、聖書のことばを読み返してみましょう。  求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。  最後の言葉が実はとても重要です。「律法と預言者」とは、つまり、旧約聖書全体のメッセージの神髄のことです。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたも人にしなさい。」という言葉は、「神を愛し、隣人を自分のように愛せよ」(マタイ22・34)という最も重要な掟に匹敵するというのです。 この言葉は、「人にされたくないことはしない」という道徳的ルールとは全く別のものです。嫌がることはしないでおこう、お互いに干渉するのはよそうというような狭い自分の世界を守る姿勢ではなくて、本気で相手の幸せを考え、相手の幸せを願うことが大事なのです。世の初めからの神さまの願いが「みんなが幸せになること」であるからこそ、私たちの願いも「相手の幸せ」であるのです。そのことに気づいたうえでもう一度聖書を読み返してみましょう。  人の幸せを求めなさい。あなたたちはわが子にはそうしているでしょう。とイエスさまは問いかけておられます。

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