麦穂11月号巻頭言 いのちの不思議 主任司祭 細井保路

2021/11/14

               いのちの不思議                              細井保路(ほそいやすみち)  11月2日の「死者の日」のミサでは、ヨハネ福音書6章が朗読されます。とても印象的な言葉です。  そのとき、イエスは人々に言われた。「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのもとに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意思を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」  すべての人が永遠の命を得ることが、天の御父のお望みだと語られています。それと同時に、この聖書のことばから、わたしたちはなぜこの世に生を受けたのか、人の存在とは何なのか、ということを深く感じ取ることができます。  イエスさまがこの世に来られることによって、わたしたちは神さまを迎え入れることができると知ったのですが、そのイエスさまご自身は、ご自分が、天の御父の願い通りに、すべての人を迎え入れるために来たとおっしゃるのです。このことは、私たちの存在の在り方を考えさせてくれます。  この世に生を受けるということは、迎え入れてくれる人たちのところへやって来るということです。そしてその目的は、迎え入れられた私自身が、また人を迎え入れるためなのです。受け入れられることばかりを意識してしまう私たちは、人を受け入れることこそが目的であることを忘れがちです。でも、イエスさまはそのことを強く自覚しておられたのです。そして私たちにも、それを気づかせてくださいました。  神さまが与えてくださったこの世界に迎え入れられたわたしたちは、同時に、神さまが与えてくださったこの世界を受け入れる喜びを見つけるのです。人と人が受け入れ合うことは、永遠の命の入口なのです。言い換えれば、一人ひとりの人生は、神のいのちの始まりなのです。神さまが与えてくださったすべての人を抱きしめることはイエスさまにしかできませんが、私たちも、神さまが出合わせてくださった人を迎え入れる喜びをともに味わうことはできるのです。

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