麦穂1月号巻頭言 新しさとなつかしさ 主任司祭 細井保路
2024/1/9
新しさとなつかしさ 細井保路(ほそいやすみち) 新しい年の初めの日曜日は、御公現のお祝いで始まります。東方の博士たちがイエスさまを尋ねて旅をする出来事を思い起こします。旅の果てに博士たちは何に出会ったのでしょうか。 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」に会いに来たのですが、彼らは、街の片隅で赤ちゃんのイエスさまに出会うことになります。思い描いていた光景とはまるで違っていたのです。星に導かれて旅をした彼らを待っていたのは、赤ちゃんを守っている母親の姿でした。それは、誰にとっても、命の尊さすばらしさを感じさせる懐かしい光景です。想像すらしていなかった新しい光景に出会いながら、同時に、深い懐かしさに包まれていたのです。 皆さんも同じような旅の思い出があるのではないでしょうか。旅をすると、新しいものに出会います。新しいはずなのにどこか懐かしい出会いというのがあるものです。人生を旅になぞらえれば、旅路の果てに私たちは神さまのところにたどり着くのです。それは想像を超える新しい場所であると同時に、本当に懐かしい場所であるに違いありません。 実は旅をしなくても、私たちは「新しさ」に出会うことができます。毎朝目が覚めるたびに、私たちは新しい一日の始まりに立っているのです。そこから始まる当たり前の日常を「懐かしい」とは言わないかもしれませんが、日常の中には自分が経験してきたことのすべてが蓄積されています。与えられた日常を大切に生きようとするならば、深いところで私の生活を支えている「懐かしさ」を探り当てることができるのだと思います。そう考えると、私たちの毎日の生活は、人生という旅のゴールで、新しくて懐かしい神さまに上手に出会えるための、レッスンのようにも思えてきます。 忙しい朝にのんびりとそんなことを考える暇などないかもしれません。実は、朝に限らず、「今」が一番新しい時であり、新しい経験をしている時なのです。ですから、ふと時間が空いた時に、今の時の「新しさ」と「懐かしさ」を味わうことができれば十分なのです。 新しい年が始まりました。新しい体験に飛び込んで行きながら、同時にいつも、神さまの慈しみを「懐かしさ」として感じとるようにしましょう。「懐かしさ」を見失いそうになったときは、博士たちが巡り合った、マリアさまと共にいる幼子の姿を思い描いてみましょう。