麦穂2月号巻頭言 裏庭の紅梅 主任司祭 細井保路

2024/2/6

              裏庭の紅梅                              細井保路(ほそいやすみち)  教会の裏庭の紅梅は、無理な枝払いもしていないので、のびのびと枝を広げています。その梅の木が見事に花を咲かせ、早くも散り始めています。梅の木に春がやって来て、あたり一面が春で満たされていく光景を、こんなに身近に見られるのは本当にありがたいことです。  神の国がやって来て、あたり一面に神さまの働きが満ちていくことを、イエスさまは伝えに来られました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ福音書1・15)とイエスさまは言われました。「悔い改めなさい」とか「信じなさい」という言葉ばかりが気になりますが、イエスさまのメッセージの中心は、「神の国が近づいた」ということのほうにあります。神さまは私たちのところにまでやって来ていて、だから、私たちの周りは神さまの働きで満たされているのです。それを受け入れるなら、私たちの心も、神に反する思いではなく、神さまが望んでおられるような思いで満たされていくのです。  イエスさまは悪霊を追い出したと聖書には書かれています。悪霊とは神さまの働きを妨げるものの総称です。神さまの働きを携えてイエスさまが登場したからには、神さまの働きに反するものは、その場には共存できないからです。退散していくしかないのです。ではなぜイエスさまは人の悪意によって殺されてしまったのかという疑問がすぐに湧いて来ます。神さまは、この世界を、内側からよいもので満たしていかれるからです。悪の力に対して、力で対処していくだけなら、悪の連鎖を断ち切ることはできません。もう一方で、内側からこの世界をよいもので満たしていく努力をやめてはならないのです。そのことに価値があることを、イエスさまは身をもって示されたのです。自身が無になることは、みじめなことでも、負けを認めたことでもなくて、むしろ限りなく大きな神さまの愛とゆるしで自分を内側から満たすことだからです。  梅の花と香りが春の気配を振りまくように、静かに内側から神の思いで満たされる世界は、イエスさまから始まって、すべてのものに及ぶのです。私たちの内側に残る驕りや偏見、怒りや妬みがいつも神さまの働きの邪魔になります。しかし、それさえも、無理やり克服しようとしなくても、静かに満ちて来る神さまの働きを受け入れていくうちに次第に居場所を失っているはずです。

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