麦穂8月号巻頭言 ラベンダー 主任司祭 細井保路
2024/8/5
ラベンダー 主任司祭 細井保路(ほそいやすみち) 教会の庭にラベンダーが咲いているのをご存じでしょうか。厳密に言うと、幼稚園の敷地になるのですが、門を通り過ぎて、そのまま称名寺の方へ向かうフェンスに沿って4つの株が植わっています。教会に来るとき、坂を登って、やっと門にたどり着いたら、わざわざその先まで歩く人はいないでしょうから、おそらく、ほとんどの人が、ラベンダーが咲いていることに気づいていないと思います。本来なら花は盛りを過ぎているはずなのですが、土の乾燥の具合がちょうどよかったのか、まだ花穂をつけて、楽しませてくれています。 近づくとほのかに香りがするのですが、ハーブは触ってこそ香るものです。是非、花や葉に触れてみてください。 司祭館の前の庭にも、ローズマリー、タイム、ミント、レモングラス、バジルなどが育っていて、指で触ると香りが立ちます。幼稚園の子どもたちは、虫を追いかけて花壇に踏み込み、足元からフワッと草のニオイがしてびっくりしています。ローリエの葉も繁っていますから、是非料理に使ってください。 草花は眺めるだけではなく、触れて香りを楽しむこともできるのです。子どもの頃に夏草のニオイに包まれた感覚などもなつかしい思い出です。 イエスさまは、いやしのため、祝福のために人に触れられました。それは、無理やり心理的な距離を縮めるための握手などとは違って、一人ひとりの内に潜む神さまからいただいた力を、香りのように引き出すものだったのです。 福音書には、人々がイエスさまに触れようと集まって来る光景が描かれています。 「群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。」(ルカ6・19) 「イエスに触れていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』そして、子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」(マルコ10・13~16) 私たちも、もっと積極的に、神さまに触れるために近づくならば、神さまは、私たちの心に触れてくださるのです。