麦穂10月号巻頭言 センニチコウ 主任司祭 細井保路

2024/10/13

               センニチコウ                         主任司祭 細井保路(ほそいやすみち)  9月の暑さに負けて、庭の手入れを怠っているうちに、季節の花は次々終わり、雑草ばかりが目につくようになってしまいました。その庭の一角で、千日紅だけは、まだ鮮やかな色で咲いています。そして、同じく鮮やかな赤い花で、鉢植えのハイビスカスが頑張って咲いています。この二つの花は、猛暑の間も咲き続け、もうひと頑張りという感じで目を楽しませてくれています。  ものごとがうまくいかないとき、私たちは、諦めるか、不平を言うかそのどちらかで対処しがちです。10月に入っても頑張って咲いている千日紅を見ていると、「淡々と咲き続ける」というもう一つの道があることを思い出させてくれます。理想や目標に手が届かないとき、諦めるのでも不平をいうのでもなく、少しでも理想が私たちの周りに実現するように、目標に近づくことができるように望みを捨てずにいることは、とても大切なことだと思います。 イエスさまの言葉も、ときに手の届かぬ理想のように思えることがあります。  「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マタイ16:24)「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(マルコ10:21)「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5:48)  この一連の英雄的な言葉の前で、私たちはたじろぎます。私たちを喜ばせてくれるような救いの言葉だとは到底思えないからです。「福音」とは耳寄りな話だと思っていたら、とんでもない理想を突きつけられて、どうしていいかわからなくなるからです。まず、これらの言葉を実際に生きたのはイエスさまだったことを思い出すべきです。神さまがすべてを救い上げてくださるというメッセージを自らの生き方で示されたのです。でも現実には悪は滅びていないではないかと私たちは不平を言いたくなります。そのときこそ、私たちは、イエスさまが身をもって示してくださった神の底知れぬやさしさ、慈しみを信じ、それが私たちの生活の中に少しでも現れて来るように動き出さなければならないのです。少なくともその実現を祈り続けることはできるのです。

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