麦穂11月号巻頭言 イヌタゲ 主任司祭 細井保路

2024/11/11

               イヌタゲ                         主任司祭 糸田井保路(ほそいやすみち)  庭の花の盛りが、そろそろ皆終わりかけて、少し寂しくなってきました。次々と何かの花が咲いている時には、すっかり見落としていたのですが、裏庭に向かう途中で足元を見ると、「あかまんま」がたくさん咲いていました。イヌタデというのが、ちゃんとした名前なのだそうですが、小さいころから「あかまんま」と呼んでいますから、イヌタデという名はよそよそしい感じがします。  少し摘んで小さな空き瓶に挿すとtこんな小さな花でも部屋中に秋の気配を運んでくれます。懐かしい花ですが、実を言うと、別にこの花で遊んだ記憶があるわけでもなく、誰かがこの花でおままごとをしているのを見たわけでもな いのです。それでも子どもたちにこの花の名前と存在を伝えていかなければという気持ちになります。いつまでも変わらずに咲き続け、だれの心にも懐かしい思い出となって残り続けてほしいと思うのです。  イエスさまの伝えようとした救いのメッセージも、この世界の初めから私たちの心に向かってささやかれ続けているものであったのです。神さまのお望みはすべての人の幸せであり、すべてのいのちを神さまが引き上げてくださると いうメッセージです。そのメッセージをキャッチしたなら、わたしたちは、支え合って生きていくことが神さまのお望みだと納得できるのです。「互いに愛し合いなさい」というイエスさまのことばのルーツは、旧約聖書のレビ記19・18 にある「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」という言葉です。そしてこの大切なメッセージは、旧約聖書に書き記されるよりはるか以前から、イスラエルの民の心に植え付けられたものだったのです。イエ スさまの時代には、もはや誰もがこの言葉の大切さを知っていたことは、イエスさまが「よいサマリア人」のたとえばなしをなさったいきさつを見てもあきらかです(ルカ福音書10・25~ 37)。  しかし、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉は、道端の「あかまんま」のように、あまりにも当たり前で、人の心を動かさないものになってしまったのです。わが子のことは、教えられなくても自分のように愛するものです。出会う人を我が子のように思ってみればよいのです。母親が小さなわが子を抱き上げるのはいとも簡単なことですが、そのしぐさはまさに、神さまが私たちを引き上げてくださるしぐさと同じなのです。「隣人を自分のように愛せよ」という言葉をきちんと受け継ぎ、次の世代に伝えていきましょう。

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