麦穂12月号巻頭言 ツワブキ 主任司祭 細井保路
2024/12/17
ツワブキ 主任司祭 細井保路(ほそいやすみち) 冬が近づいたのを知らせてくれるのは、ツワブキの花です。夏の黄色い花の代表がヒマワリだとすれば、冬の代表はツワブキだと思います。花が少なくなる冬の庭で、黄色の花は気持ちを明るくさせてくれます。 よく手入れのされたお寺の境内で、見事に咲いたツワブキを見て、教会の庭のツワブキのことを思い出しました。今年の夏は庭の手入れをさぼったので、ツツジの下に咲いているはずのツワブキが雑草で覆われて、すっかり見えなくなっていたのです。慌てて草を取ると、去年に比べて随分貧弱な花が出てきました。葉も虫に喰われて、心なしかツヤもありません。それでも日に日に元気になってきました。もっと早くから手入れをしていたら、今頃鮮やかな黄色い花をたくさんつけていただろうと思うと、少し後悔します。 この庭のツワブキは、もともと聖堂の裏の日の当たらない石地に咲いていた株を移し植えたものです。漢字で「石蕗」と書くのは、岩場によく咲くからだという説もあります。そのたくましさも魅力のひとつです。 掃き清められたお寺の境内で凛と咲いているツワブキを見て、季節に気づき、慌てて庭の隅の草を払い、なんとか今年も花を見ることができたわけですが、うっかり暮らしている私は、「気づいて、心がけて、なんとかよい結果にたどり着く」ということを、生活の中で繰り返しているように思います。 このパターンは、イエスさまの誕生を祝った人たちにも当てはまると思います。羊飼いたちは、救い主の誕生を、天使に告げられることで気づかされ、急いで厩に向かい、生まれたばかりの幼子に出会うのです。博士たちも、不思議な星に気づき、その星に導かれて幼子を探し当てるのです。 何かに気づき、気づいたことに向かって歩み続けることを心がけるなら、私たちは必ず何かしらの幸せに出会うのです。何かが実を結ぶことを体験するのです。出発点は、何かに気づくことです。むしろ自分で気づくことは少なくて、たいていは、気づかされるのです。誰かが気づかせてくれるのです。誰もが心当たりのあることだと思いますが、私たちは、大切なことに気づかせてくれる「神の使い」のような人や出来事に取り囲まれて生きています。神さまは、私たちが幸せに気づくために、大切なことを思い出すために、いつも見えないメッセージを送り続けてくださっているのです。「気づいて心がけたことが実を結ぶ」という喜びを日常の中でもっと味わいましょう。